The workers are goin’ home

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働くということ

先日、ゆっくり本を読もうと入った喫茶店で、仕事辞めたいらしい女の子と、その先輩が、会話していた。百貨店の制服を着ている。働いて2ヶ月で、自分は接客に向いていないと悩んでいるよう。「もう商品をみるのも苦痛」「そんな状態で売っていてはお客様には申し訳ない」云々。
それに対し先輩は、「あなたは頭でわかっているけど、わかってない」「目標を持たなければ、これから先どんな仕事やっても同じ」などと、優しい口調ながらこんこんと説教していた。頭でわかってたらあとどこでわからないんだ?それはおいといて、先輩の言うことは至極正論ばかり。もし自分がそういう立場なら、同じことを言っていたと思う。
まぁその娘が客観的に見てどういう働きっぷりか、見ないとなんとも言えない。接客業については特に、適性がなければ、どうしようもないし。でも2ヶ月で辞めるのは早いよ。一生懸命同じ仕事をしている人に対して失礼じゃないか、とも思ってしまう。
しかし、辞めたい女の子の泣きそうな顔見ていると、複雑な気分になる。先輩がトイレに立っていたとき、深いため息をついていた。よっぽど疲れているのだろう。気の毒になってきた。
自分に向いた仕事を見つけるのってなんなんだろうと。すぐに辞める人にあまり共感はできないが、それは自分がいままで仕事に恵まれてきたから、理解できていないだけかも。
しかし、一人の人間が働くということは、その裏で周囲の膨大な労力と、コストがかかっているという事実も忘れてはいけない。
恵まれた、自分にあった労働環境という出会いを引き寄せるのは必然なのか偶然なのか。少なくとも自分の力だけでどうこうできるものでも、ないよな。それを自分の能力と思い始めたら危険。
盗み聞きのくせにすっかり感情移入しまくってしまいました。おかげで本(ちなみに「市民ヴィンス」)も読めず。あんまり聞きすぎるのも悪いな、と、とっとと退席。コーヒー代はどっちが出すんだろう。経費かな?と、妙なことまで気になってしまった。
・・・内容のないことつらつらと。本当はここから労働格差社会の本質に迫りたかったのですが。いや嘘です。書きたかっただけです。すみません。