朝早くから隣家の建築工事で、物音がすごい。
気になって7時過ぎに起きてしまい、まぁ出かけるか、と、グランベリーパークに行き、109シネマズで「花束みたいな恋をした」。9時の回で鑑賞。仕事の日より早いわ。
脚本と演出のあまりの美しさ、菅田将暉と有村架純の存在と、二人の空気感の気高さに、鑑賞後立ち上がれなくなるのでは、というほど震え、呆然となる。
冒頭、固有名詞を重ねることで、二人の関係が急速に縮まる流れがものすごくリアル。実際教養とか知性って、その人の持っている固有名詞のボキャブラリーに依ると思っていて、それが誰かと重なったときの興奮って、なにものにもかえがたい物がある。
でも以外と恋愛ドラマや映画って、その辺おざなりにしているよね、って改めて思う。
また、ミイラ展の種明かしとか、いくら感受性が同じでも、全てが同じ訳ではない。だから人間って面白いのであって、感受性の重なった部分をどう共有するか、重ならない部分を埋めたいという意思があるか、で、距離と関係って自然と決まっていく。
あー、なんかうまく言えない。
ラスト近辺のファミレスのシーン、いままで観てきた映画の中でも、有数の美しさ。
大友良英の劇伴も、優しい。
とにかく最高の映画で、興奮しすぎて、午前11時の回転寿司で3000円近く食べてしまう。
で、家に帰りたくなくなり、用もないのに街をぶらぶらして、帰る。
花束みたいな恋をした。
— uniuo (@uniuo) 2021年1月30日
押井守から、柴崎友香舞城王太郎佐藤亜紀といった固有名詞を並べることで縮まる距離。ZAZENBOYSディレイマンTのある菅田将暉の部屋。自己啓発書が並び出す有村架純と2人の部屋。何かを得ながら失う恋人関係のリアル。
こういう作品響きそうだった人とのこと思い出し、号泣。 pic.twitter.com/OQaj8z8jMm
中年のノスタルジー映画だって、したり顔で言いそうな人もいそうだな、とも思う。多分自分はそういう人たちとは一生重ならないのだと思う。
そう、世の中は今村夏子を読んでも響かない人で溢れている。