The workers are goin’ home

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土曜日

朝早くから隣家の建築工事で、物音がすごい。

気になって7時過ぎに起きてしまい、まぁ出かけるか、と、グランベリーパークに行き、109シネマズで「花束みたいな恋をした」。9時の回で鑑賞。仕事の日より早いわ。

脚本と演出のあまりの美しさ、菅田将暉有村架純の存在と、二人の空気感の気高さに、鑑賞後立ち上がれなくなるのでは、というほど震え、呆然となる。

冒頭、固有名詞を重ねることで、二人の関係が急速に縮まる流れがものすごくリアル。実際教養とか知性って、その人の持っている固有名詞のボキャブラリーに依ると思っていて、それが誰かと重なったときの興奮って、なにものにもかえがたい物がある。

でも以外と恋愛ドラマや映画って、その辺おざなりにしているよね、って改めて思う。

また、ミイラ展の種明かしとか、いくら感受性が同じでも、全てが同じ訳ではない。だから人間って面白いのであって、感受性の重なった部分をどう共有するか、重ならない部分を埋めたいという意思があるか、で、距離と関係って自然と決まっていく。

あー、なんかうまく言えない。

ラスト近辺のファミレスのシーン、いままで観てきた映画の中でも、有数の美しさ。

大友良英の劇伴も、優しい。

とにかく最高の映画で、興奮しすぎて、午前11時の回転寿司で3000円近く食べてしまう。

 で、家に帰りたくなくなり、用もないのに街をぶらぶらして、帰る。

 

 

中年のノスタルジー映画だって、したり顔で言いそうな人もいそうだな、とも思う。多分自分はそういう人たちとは一生重ならないのだと思う。

 

 

そう、世の中は今村夏子を読んでも響かない人で溢れている。